安部公房『燃えつきた地図』

 受話器を置くと、ぼくはそのまま、電話ボックスの中に、しゃがみ込んでしまう。隅にまるめた新聞紙があり、下から黒く乾いた大便の端がのぞいている。その大便の端には、くびれめがある。ロープでくくったような、くびれめがついている。くびれた所に、なにか野菜の繊維が、荒い絵筆の先のように、毛ば立っている。べつに臭ったわけではないが、ぼくは思わず立上ってしまう。くびれた頭の部分を覆っている、割れた茹(う)で卵の殻のような罅(ひび)が、ぼくをおびやかすのだ。これはよほど長いあいだ耐えていた大便に相違ない。公衆電話の中で、用を足さなければならないほど、大便を耐えつづけなければならなかった男……たぶん男だろう……女でもかまわないが、たぶん男だろう……この、都会という無限の迷路の中で、数えきれないほど存在しているはずの便器の中の、わずか一つの利用さえも許されなかった、孤独な男……、その男が、公衆電話のボックスの中に、かがみ込んでいる姿勢を想像すると、ぼくは恐ろしくなってしまったのだ。
 むろんその男が、ぼくのように、帰って行く場所を見失ってしまった人間だとは限らない。見失ったという自覚さえない、根っからの浮浪者だったのかもしれない。だが、どちらにしたところで、大差はないのだ。医者なら、ぼくが失ったのは、カーブの向うなどではなく、記憶なのだと主張したがることだろう。誰がそんなことを信用するものか。誰だって、どんな健康な人間だって、自分の知っている場所以外のことなど、知っているわけがないのだ。誰だって、今のぼくと同じように、狭い既知の世界に閉じ込められていることに変りはないのだ。坂のカーブの手前、地下鉄の駅、コーヒー店、その三角形はなるほど狭い。狭すぎる。しかし、この三角形が、あと十倍にひろがったところで、それがどうしたというのだ。三角形が、十角形になったところで、何処がどう違うというのだ。
 もし、その十角形が、決して開かれた無限に通じる地図ではないことを、自覚したとしたら……救助を求める電話に応じて、やって来る、救いの主が、自分の地図を省略だらけの略図にすぎないと自覚させる、地図の外からの使いだったとしたら……その人間もまた、存在しながら存在しない、あのカーブの向うを覗き込んでしまったことになるのだ。電話のコードは、首吊りの輪にもなる。