泉鏡花『風流線』

村夫子は煙管を差置き、
「今さしあたり草木も動かず、五月晴の上天気、澄切って秋日和見たようじゃが、何とその底に黒い雲が徐々(そろそろ)と頭を出して、はやこの界隈、漁(すなど)るものも耕すものも、寐心(ねごころ)が穏(おだやか)でない。先々月あたりから、毎晩悪い夢に魘(うな)されているではないか。
それがというとの、北から南へ三十里ばかり、間が切れている鉄道が繫がるで、工事が去年から始まった処、いやその工夫というのがよ、大概つもっても知れること、今時そんな理屈はない筈じゃが、百が九十九人までは、どれも無宿もの同然で、殺人(ひとごろし)に放火(つけび)をかねた、夜叉羅刹(やしゃらせつ)じゃと思われい、はあ。
山は崩す、水は濁す、犬猫は取って喰う、草は枯す、樹は倒す、石は飛ばす、取分けて目指されるのが、眉目(みめ)形の勝れた婦人じゃ。
殺されたのもあり、死んだものもあり、好(え)い衣服(きもの)を着て帯を〆めたのが、草の中に倒れていたり、裸体(はだか)で野原に曝されたり、何がさて、出来た鉄道の三里居まわり、手足な、髪な、ばらばらにして暴れおったわ。
何と可恐(おそろし)い、二条(ふたすじ)の線(はりがね)は、ずるずると這い込んで、もうそれ、昨日一昨日あたりからこの川上で舌なめずり、ちょうど貴女(あんた)が行かれるという、鞍ヶ岳の麓は、鎌首を擡げる処じゃ、私(わし)の留めるのはこの事だで、はい。」
煙管を取上げ、流を斜に遠山の頂かけ、殺勢を示してぴたりと構え、陰鬱な顔色(がんしょく)して、「見られい、今日のお天気も、鶴来というのに五位鷺が鳴きそうな空合じゃ、太陽様(おひさま)はちゃんと照らしてござるが、日中(ひなか)も蔭には闇があります……」