井伏鱒二『本日休診』

 夕方、蒲田マーケットの前を通っていると、かねて目星をつけていた男女二人づれのものを見かけたので、そのあとからついて行った。男は身長が五尺四寸ぐらい、年は二十七八歳ぐらい、茶色のソフトをかぶっていた。そのソフトは、普通のつぶしかたにしてあったが、気をつけて見ると、オカマ帽につぶしたあとがついていた。せんだって暴行を受けた津和野悠子の証言によると、暴漢は季節はずれの茶色のソフトをかぶっていた。それは、てっぺんをつぶし、恰好がカンカン帽のような形であったと悠子が云っていた。オカマ帽にちがいない。その形につぶしたあとが残っていた。連れの女の背の高さは、悠子が云っていたように、悠子と同じぐらいであった。男も暴行を犯したので、まさか同じ形のオカマ帽をかぶって外を歩く筈はないが、かぶりつけた帽子というものは、なかなか手ばなせないものと見える。恰好だけ変えて、久しぶりにその帽子をかぶって出て来たものだろう。そう思って、松木ポリスが二人のあとをつけて行くと、マーケット街の横丁を曲って、ロビンという理髪屋の前に立ちどまった。男は硝子戸に姿をうつして帽子のかぶりかたをなおした。扉の内側に黒いカーテンがおろしてあったので、街燈の明るみで姿がうつるわけである。女は、男のすることを見て見ぬふりしているようであった。それから二人はマーケット街を通りぬけ、大まわりをして中村病院の前に立ちどまって、何やら立ち話をしている風であった。そのとき、つかつかと歩いて行って松木ポリスは、二人に連行をもとめたそうである。