藤枝静男『雛祭り』

 私の妻は今年の二月に死んだ。妻は平生から全くの無宗教であり葬式をひどくきらっていたので、私はその数日まえから居間に飾りつけられていた桃の節句の雛壇の下に死体を寝かせ、家のもの以外には通知せず、まわりをできるだけ沢山の花で埋め、ときどき線香のかわりに妻の生前愛していた香水をふり撒いて通夜をした。そして翌日は救急運搬車にのせて火葬場にはこんで骨に変えた。持ち帰られた骨は、私が自分のために用意しておいた九州のある民窯の小壺に納めて、同じ雛壇の内裏雛の下段の菱餅を除けたあとに置き、三月四日に雛を片付けるまでそのままにして、その後は私の寝室の棚に入れた。そうして妻の遺言どおりひと月たった四月二十六日に、別に新しく買ってきた小型のやさしい壺に入れ替えて庭の隅に埋めた。最初の私のための壺には、親指の爪ほどの大きさの頭蓋骨の薄い破片がひとつ残されている。それは妻が昔もらした希望に従って或る美術館の庭の片隅に埋めようとしたが館員に拒まれて持ち帰ったもので、なおこうして宙に浮いているのである。
  (中略)
 十余年以前、妻といっしょにこの菩提寺に行って花を差し水を石に注ぎ叩頭して手を合わせたとき、後ろに立っていた妻が不意に
「わたしはこのお墓に入るのはいやです」
 と云った。暗黒のコンクリートの穴のなかで見識らぬ私の肉親たちにひとり囲まれるという恐怖が、妻の短く低い呟きに鋭くあらわれていた。帰途
「暗い土に埋まってひとりでに溶けて、それから水になってどこかへ消えてしまいたいのよ」
 と柔く弁解するように云った。
 しかし今、私は墓に向かって妻の死を報告したのち「私が死んだとき連れてきます」と心のなかで云った。私がいっしょに行けば妻も安心だし、皆はなおのこと喜ぶだろうと思った。私が私の骨壺に入れて行くのは、現在手元に残されている宙に浮いた小骨片一個である。そう思いながら私は水桶と柄杓を庫裡に返して寺の門を出た。
  (中略)
 誰しも死んだ瞬間に離れてしまう。私が何と妄想しようとも、、父も母も兄も弟も姉も妹も、私も、妻も、そしてマアちゃんとスズちゃんも、ばらばらになって、やがては土となり水となり空気と化して永久に虚空に姿を消してしまうのである。在るのはここ半年か一年のあいだの私の感傷また感傷、ふわふわだけだ。今は一歩だけ死に近づいたことに、淋しさと、漠たる喜びを感じている私が在るだけなのである。