小林秀雄『ゴッホの手紙』

「僕等を幽閉し、監禁し、埋葬さえしようとするものが何であるかを、僕等は、必ずしも言う事が出来ない、併しだ、にも係らずだ、僕等は、はっきり感じている、何かしら或る柵だとか扉だとか壁だとかが存在する、と。こんな事は皆空想か、幻想か。僕はそうは思わぬ。僕等は訝る、ああ、これは長い事なのか、永遠にそうなのか、と。君は、何がこの監禁から人を解放するか知っているか。それは深い真面目な愛なのだ」(No.133)

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 理想を抱くとは、眼前に突入すべきゴールを見る事ではない、決してそんな事ではない、それは何かしらもっと大変難しい事だ、とゴッホは吃り吃り言う。これはゴッホの個性的着想という様なものではない。その様なものは、彼の告白には絶えて現れて来ない。ある普遍的なものが、彼を脅迫しているのであって、告白すべきある個性的なものが問題だった事はない。或る恐ろしい巨きなものが彼の小さな肉体を無理にも通過しようとするので、彼は苦しく、止むを得ず、その触覚について語るのである。だが、これも亦彼独特のやり方という様なものではない。誰も、そういう具合にしか、美しい真実な告白はなし得ないものなのである。現実という石の壁に頭をぶつけて了った人間に、どうしてあれこれの理想という様なものが必要であろうか。「それは、深い真面目な愛だ」と彼が言うのは、愛の説教に関する失格者としてである。