永井龍男『風ふたたび』

 数番の仕掛花火が、終りを告げたばかりらしく、濃い一面の白煙が、ほのかに余燼に映えつつ、川上へもうもうと吹き上げられていた。対岸のビルの灯も、川を渡る総武線の灯も、その中に見えがくれした。
 ほっと一息入れた川筋を見下していると、乱れ乱れたざわめきをこえて、時おりカン高い一人一人の遠い叫びも、はっきり、ひびいてくるのだった。
 いち早く香菜江が、両国橋をへだてた向うの空に、音なく開く花火をみとめた時だった。身近かに、虚空を切り、風を打つ気配ともども、香菜江の頭上は、金のあざみ、銀のあざみに、さあッとおおわれた。
 橋をはさんでの、最後の競り合いが、再び始まっていたのだ。
 金のあざみ、銀のあざみ。柳の雪が燃え、散る菊にダリヤを重ねる。五彩の花々は、絶え間なく空を染め、絶え間なく空に吸い込まれた。
 香菜江は、息をのんだ。爆音も耳になく、ただ、異様に鳴りはずむ、おのれの胸に苦しんだ。ながい瞬間であった。
 めまいのように、ぺたりと、もうせんに腰をおとした香菜江を、爆音のこだまが、一時におそった。手のひらで顔をおおうと、眼の中にも花火があった。