志賀直哉『山鳩』

 翌日、私は山鳩が一羽だけで飛んでいるのを見た。山鳩の飛び方は妙に気忙しい感じがする。一羽が先に飛び、四五間あとから、他の一羽が遅れじと一生懸命に随いて行く。毎日、それを見ていたのだが、今はそれが一羽になり、一羽で日に何度となく、私の眼の前を往ったり来たりした。私はその時、一緒に食った小綬鶏、鵯等に就いては何とも思わなかったし、福田君が他所(よそ)で撃った山鳩に対しても、そういう気持は起らなかったが、幾月かの間、見て、馴染になった夫婦の山鳩が、一羽で飛んでいるのを見ると余りいい気持がしなかった。撃ったのは自分ではないが、食ったのは自分だという事も気が咎めた。
 幾月かして、私は山鳩が二羽で飛んでいるのを見た。山鳩も遂にいい対手を見つけ、再婚したのだと思い、これはいい事だったと喜んだ。ところが、そうではなく、二羽のが他所から来て住みつき、前からの一羽は相変らず一羽で飛んでいた。この状態は今も続いている。
 最近、又猟期に入った。近所の知合いで、S氏という人は血統書きのついた高価なイングリッシュ・セッターを二頭も飼っていて、猟服姿でよく此辺を徘徊している。然し、此人の場合は猟犬は警戒していなければ危いが、鳥は安心していてもいい腕前だそうだ。可恐いのは地下足袋の福田蘭童で、四五日前に来た時、
「今年はこの辺はやめて貰おうかな」というと、
「そんなに気になるなら、残った方も片づけて上げましょうか?」
 と笑いながら云う。彼は鳥にとっては、そういう恐ろしい男である。