木山捷平『大陸の細道』

 正介は東京を出発する前夜、何年ぶりかで妻と同じ部屋でねた。寝たといっても、旅の支度をしながら、その夜も防空警報が頻発したので、電燈は消され、正介は足にゲートルを巻き、妻はモンペの紐をしめた服装で、夫婦は時々木に竹を接いだような話をかわした。が、
「今度はおれも向うでくたばるかも知れない。そうしたらだね、この交通地獄の世の中で、お前はわざわざ満州までやって来る必要はないぞ」と正介は言った。
「どうしてですか?」妻が不服げに、きき返した。
「おれの死体はおれが始末する。骨はちゃんと小包にして送ってやる」と正介は言った。
「まあ、いくら私が至らず者でも、その時にはどんな旅費を工面してでも、迎えに行きますよ」と妻が言った。
「いや、よしてくれ。おれは小包で帰る」と正介が言った。
 半分は冗談のつもりで言ったのだが、全部が全部冗談とは言いきれなかった。長い間の貧乏にやつれた妻が、女のひとり旅、夫の遺骨を首にぶら下げて汽車にのっている図なんか思っただけでもみじめで、こちらが顔をそむけたくなるのだ。それに引き替え、死んで一片の白骨となって、小包紐でしばられ、未知の郵便配達夫に手で汽車に積まれたり、降ろされたり、空高くクレーンで船に投げ込まれたり海風に吹かれたり、時には箱の中でコツコツ音をたてて鳴ってみたりする光景を思うと、自分ながら何か清涼で微笑ましい詩的な感じが湧いてくるのだ。