網野菊『風呂敷』

 入浴中も、ミツは、木原のことを思い出すと、いまいましさに、いても立ってもいられぬ気持になった。それでも大分、心に余裕が出来て来たようである。余裕の出来た心で、ミツは、こういう時にこそ健康に注意せねばならぬと思ったりした。風呂から上ろうとしてからだをふいている時、ミツは、ふと、自分が外国の唱歌を小声でうたっていることに気づいた。
「なアんだ、歌なんかうたってるじゃないか」ミツはわざと呆れたように声に出して自分に言い、ニヤリと笑った。
「この分なら大丈夫だ。そりゃあ、もちろん、そう簡単には行かないさ。何しろ、十年近くも夫婦でいた人間なんだから……。風呂敷とは違うんだから……」ミツはそう心の中でひとりごちた。そして、その自分の考え方におかしさを感じて再び微笑した。
 幸い、ミツの恩師は、××博士の診断の結果、主治医の見立て通りで、不治の病気ではないことがハッキリした。そして、恩師は、追い追い快方に向って、四、五カ月後には全く健康を回復した。ミツも、時によっての感情の起伏はあっても、徐々に木原の再婚という打撃から回復した。そして、その回復には肉体の病気の回復におけるごとく、一種のさわやかさと悦びがあることを、ミツは感じた。

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