ボリス・ヴィアン『日々の泡』(曾根元吉 訳)

 人生でだいじなのはどんなことにも先天的な判断をすることだ。まったくの話、ひとりひとりだといつもまっとうだが大勢になると見当ちがいをやる感じだ。でも、そこから身の処し方の規則なんかひきだすのは用心して避けなければならぬ。遵守するための規則などこさえる必要もなかろう。ただ二つのものだけがある。どんな流儀でもいいが恋愛というもの、かわいい少女たちとの恋愛、それとニューオーリンズの、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消え失せたっていい、醜いんだから。その例証がここに展開する数ページで、お話は隅から隅までぼくが想像で作りあげたものだからこそ全部ほんとの物語になっているところが強味だ。物語のいわゆる現実化とは、傾斜した熱っぽい気分で、ムラ多く波だってねじれの見える平面上に現実を投影することだ。まあこれが打明けていい、ぎりぎり掛値なしの手ぐちだ。