アンダソン「グロテスクな人々についての本」(小島信夫・浜本武雄 訳)

 世界がまだ若かったはじめのころ、おびただしい数の思想があったが、真実などというものはまだなかった。ところが人間がいろいろな真実を自分でつくりだし、一つ一つの真実はおびただしい数のあいまいな思想の寄せ集めだった。こうして世界じゅういたるところ真実だらけになり、それらはみな美しかった。
 老人はその本のなかで何百という種類の真実をあげている。ここでその全部について述べるつもりはない。たとえば、処女性を真実とするものがあれば情欲の真実もあり、富の真実があれば貧苦の真実もある。節約の真実あれば浪費の真実あり、無頓着や放縦の真実もあった。何百、何千という真実があり、それらはみな美しかった。
 それから例の連中がやってきた。一人一人が、現われるたびに一つの真実をひっつかんだ。力のつよい連中などは、一人でいくつもつかみあげた。
 人々をグロテスクにしたのは、そういう真実だった。そのことについては、老人はまことに精緻な理論をたてていた。彼の考えによれば、一人の人間が一つの真実を自分のものにして、これこそわが真実といって、それにもとづいて自分の人生を生きようとするとたんに、彼はグロテスクな人間に化してしまい、彼が抱きしめている真実も虚偽になってしまう、というのである。