デュラス『愛人 ラマン』(清水徹 訳)

 人びとにこのことを知らせねばなるまい、永遠不滅とは死すべき運命にあるということを、彼らに教えなければなるまい。永遠不滅も死にうるのだということを、それが起ってしまったということを、また起るということを。永遠不滅とはまぎれもない永遠不滅としてはっきり見えているものではない、断じてそうではないということ、それは完全なる二枚舌だということ。それは細部には宿らず、ただ原則のなかに存在するだけだということ。ある人びとがそれの現存をうちに秘めることのできるのは、自分ではそうだということを知らないという条件においてだということ。また同様に、ほかのある人びとが、そういう人びとのなかに永遠不滅の現存を見破ることができるのも、同じ条件つまり自分にそれができるということを知らないという条件においてなのだ。永遠不滅がおのれを生きているかぎり、生は不死であり、その一方で永遠不滅は生のなかにある。永遠不滅とは時間の多い少ないの問題ではない、それは永遠不滅の問題ではない、それは何かほかのことの問題なのだが、その何かほかのこととは、いまなお未知のままにとどまっている。永遠不滅とは始めもなく終りもないことだと言うことが誤りであるのと同じように、永遠不滅が精神を分有し、そしてまた空なる風の追求を分有している以上、それは精神の生とともに始まり、また終るというのも誤りだ。砂漠の死んだ砂を、子供たちの死んだ身体を見てごらんなさい。永遠不滅はそこをとおりはしない、足を停め、迂回してゆく。