チェーホフ「三人姉妹」(神西清 訳)

マーシャ どうしたことでしょう、わたしそろそろ、お母さんの顔を忘れかけているわ。わたしたちのことだって、そういつまでも人は覚えちゃいないでしょうよ。忘れてしまうわ。
ヴェルシーニン そう、忘れるでしょう。それがわれわれの運命である以上、どうにも仕方がありません。今われわれにとって、深刻で意味ぶかい、きわめて重大なことのように思われるものも、――その時がくれば、忘れられてしまうか、些細なことに思われてくるでしょう。(間)そこで面白いのは、そもそも将来、何が高尚で重大なものと考えられ、何がちっぽけな笑うべきものと見なされるだろうか――そこのところが現在われわれには全く見当がつかないという点です。あのコペルニクスの発見、また例えばコロンブスのそれは、果して初めのうちは無用な笑うべきものと見えなかったでしょうか? 一方どこかの変り者の書いた愚にもつかないタワ言が、かえって真理と思われはしなかったでしょうか? そして現にわれわれが、こうしてやりくりしている今の生活にしたって、時がたつにつれて、どうも変だ、不便だ、知恵がない、なんだか不潔だ――いやそれどころか、罪ぶかいとさえ、見えてくるかも知れません。……
トゥーゼンバフ さあ、どうですかねえ。ひょっとすると現在のわれわれの生活を、高尚だと呼んで、敬意をもって思いだしてくれるかも知れませんよ。今日では拷問も死刑もなく、侵略もないけれど、その一方、どれほどの悩みがあることでしょう!