ハイゼンベルク『部分と全体』(山崎和夫 訳)

一度でもって、おそらく十万人の市民を殺害し得るような原子爆弾は、他の武器と同じに考えてよいだろうか? われわれは、古くからあるがしかし問題のある原則(ルール)、すなわち〝悪のための戦いに許されない手段も、善のためにはすべて許される〟という原則を適用してよいものだろうか? つまり原子爆弾も悪のためでなく善のためなら作ってもよいのか。