寺山修司『死者の書』

「平等」という言葉は、政治のレベルで用いられ、「好ききらい」という言葉は性の領域で用いられる。この二つの言葉は、実はべつべつの座標軸を持って社会化されているように思われる。人は、誰でもユートピアをイメージするときに、そこには非階級的で平等な社会をあげることをためらわないが、同時に自分の「あるべきすがた」をイメージするときには、没個性と画一性を排し、きわめて独自的な人間像を思い描くのである。それは、ニイチェの挙げた意味での、人類と英雄との葛藤である。人は「人類」の概念の中ではあくまでも、平等と無差別を要求し、同時に「人間」の概念の中では、英雄化を目ざす。生きがいの問題は、つねに「人類」の概念と切りはなされて、「人間」のレベルで取沙汰されるのである。