寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

読むことは、それ自体が増殖をはらんだエロス的な行為なのだから。
 たとえば書物とは『印刷物』ばかりを意味するものではなかった。街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。
 かつて、私は『書を捨てよ町へ出よう』と書いたが、それは『印刷物を捨てよそして町という名の、べつの書物を読みに出よう』と書き改められなければならないだろう。