2012-03-12から1日間の記事一覧

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

私たちの身のまわりの人たちの『笑い』や『泣き』もまた、少しずつ複製化されつつあるのではないかと思うのだ。

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

あらゆる笑いは、政治化される要素をはらんでいる。 しかも、笑う人間は、いつでも正義の側に立っていると信じている。そのこと位、莫迦げた自信はないのではなかろうか?

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

笑いを生みだすのは、いつでも人間そのものではなく人間の条件である。 そして、笑うことによって人は、じぶんの現在地を確認する。われ笑うゆえに、われ在り、という訳である。

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

あらゆる笑いは、差別と階級性を内包して生まれる。 そしてまた、あらゆる笑いは笑うことによって『境界線を引く行為』となるのである。

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

読むことは、それ自体が増殖をはらんだエロス的な行為なのだから。 たとえば書物とは『印刷物』ばかりを意味するものではなかった。街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。 かつて、私は『書を捨てよ町へ出よ…

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

つまり、読書は非力な人たちにとっては変身の機会であり、愉悦快楽であり、しばしば武器であり、逃避の場であり、事件であった。

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

しかし、『読む』ことによってたちまち、価値は増える。それは、体験を理念に変え、『自分自身であること』を『自分自身であろうとすること』に変えるからである。書物は、それ自体では、欠落だらけの真実を補完し、いつのまにか私たちに幻想によるべつの真…

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

すべての表現は、作者だけのものではなく、読者(受け手)との合作だ、ということを言いたいのである。

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

(思えば、だれでもラブレターを書いている間だけは、世界的な詩人になっているのである)

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

私は、現代人の大半は『他動人間』である、という結論に達したのであった。 すなわち、『自動』ではなく『他動』によって行動する。それは、ゼンマイやねじの仕掛で動く自動人形と同じように、見えない使令や社会的要因によって他動的に『動かされている』の…

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

過ぎ去ったことの一切は物語にすぎない、というのが私の哲学であり、本物というのは、『在る』ものではなく、『成る』ものであって当然だからである。

寺山修司『さかさま博物誌 青蛾館』

『人生いたるところに机あり』なのである。 もともと、机という『ものを書くための台』が製造販売されるようになってから文学者は書斎という座敷牢に自己監禁するマゾヒスティックな快楽の虜になり、街のダイナミズムから遠ざかってしまった――というのが私の…