寺山修司『家出のすすめ』

 ところで、わたしは言行不一致はそれなりで、なかなかいいものではないか、と考えています。すくなくとも、言行不一致を平気で容認していけるような太い神経だけが、長い歴史をすこしずつ変革してきたと考えられるからです。このことは、たとえば日本の反体制運動の歴史のなかにも、長崎のかくれキリシタンの伝道史のなかにもはっきり証明されていることであって、踏絵を拒んで死んでいった信徒たちによっては何も変えられなかった、という史実が何よりのいい証拠になるといってもよいでしょう。