正宗白鳥「トルストイについて」

 廿五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝った時、人生に対する抽象的な煩悶に堪えず、救済を求めるための旅に上ったという表面的事実を、日本の文壇人はそのままに信じて、甘ったれた感動を起したりしたのだが、実際は妻君を怖がって逃げたのであった。人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ世を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤往独邁の旅に出て、ついに野垂れ死した径路を日記で熟読すると、悲壮でもあり滑稽でもあり、人生の真相鏡に掛けて見る如くである。ああ、我が敬愛するトルストイ翁!