太宰治『お伽草子』

あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思いながら渋々出かけて行く時には、案外その家で君たちの来訪をしんから喜んでいるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて気持のよい家だろう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一の憩いの巣だ、なんともあの家へ行くのは楽しみだ、などといい気分で出かける家に於いては、諸君は、まずたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に帚など立てられているものである。他人の家に、憩いの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の証拠なのかも知れないが、とかくこの訪問という事に於いては、吾人は驚くべき思い違いをしているものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。