前田英樹「ゴダール的〈結合〉について」(「現代思想臨時増刊号 ゴダールの神話」所収)

 仰向けに倒れたミシェルを、パトリシアと刑事たちとが取り囲んで見下ろす。ミシェルはかすかに笑いながら、パトリシアに「おまえは、ほんとに最低(dégueulasse)だ」と言う。彼女は、俗語のdégueulasseがわからず、刑事に「彼はなんて言ったの」と尋ねる。すると刑事は「彼は、あなたが『ほんとに最低だ』と言っているのです」とやけに文法的に答える。手持ちのキャメラが、パトリシアの端正な顔を正面のクローズ・アップで画面いっぱいに映し出す。彼女は、さっきミシェルがそうしたように観客のほうにまっすぐ視線を向け、「dégueulasseって何?」と問い返す。その画面サイズのまま、彼女は後ろ向きになり、フェード・アウトして映画は終わる。
 おそらく、ここではdégueulasseの意味には少なくとも三つの段階がある。まず、パトリシアの密告は「最低」であり、つぎに彼女がミシェルとの滑稽なディアローグに持ち込む〈意味〉は「最低」であり、最後にこの映画の即自的なイマージュと滑稽なディアローグとの結合は「最低」である。第一段階は筋書きのなかにあり、これは誰にもすぐにわかる。第二段階はこの映画が形成する台詞の抽象的な線のなかにあり、第三段階はやはりこの映画が形成するイマージュ、言葉、音響の純粋なアレンジメントのなかにある。パトリシアは観客に向かって「最低って何?」と言う。パトリシアという登場人物がそれを言うことは、第二段階にかかわっている。つまり、彼女は自分がこの映画のなかに持ち込む〈意味〉が「最低」であることを知らない。しかし、彼女がその台詞をつぶやく相手が観客であることは、そのつぶやきが、『勝手にしやがれ』という結合体の全体にかかわっていることを示しているだろう。