大江健三郎『私という小説家の作り方』

 この国では、決して大きい仕事をなしとげたとはいえない歴史学者や文学研究家、国家の芸術機関の権力者でもある作家などが、その晩年に、国を憂える言論を始めてベストセラーにすらなることがある。(中略)
 それらを見て気がつくのは、老齢に達して遺言のようにであれ、国を憂える文章を書かずにはいられないという動機づけが、ことごとくウソだ、ということなのだ。かれらは自分の本来の仕事において、書くことがなくなったにすぎない。それはつまり、かれらの生涯の仕事が、本質的な積み重ねとそこからの自然な結実に無縁なものだったことをあかしだてる。あなた方が国を憂えるのもいいが、それよりもっとやらねばならぬことがあるのではないか? あなた自身を――その魂を、とまではいわないけれど――憂えることもしなくてはならないのではないか、あなたのいうとおりもう持ち時間は少ないのだから!

   ※太字は出典では傍点