神谷美恵子『生きがいについて』

 しかし伊藤によると、原爆被害者たちは一般にすべてを否定しながら、なお自己否定に到達していないという。その理由は、彼らが一種の特権意識を持っていて、それが自己肯定を可能ならしめているという。このことは、らい患者にもよく見られることである。
 否定意識というものは、しかし、自己にまでむけられたとき初めてもっと徹底的で深刻なものとなる。すべて外なるものを否定しても、自己だけを最後のよりどころにできるならば、人はまだそこを足場として、外のものと戦うこともできる。あるいはまた自己にとじこもり、あの「自閉」という姿勢をとることもできる。
 原爆症患者は特定の国家の破壊的な力に対して怒る。らい患者はらいに対する世間の偏見やそのためにおこってくる種々の差別待遇に対して憤り、これと戦おうとする。しかしそのような破壊的意志や偏見の根は、人類一般の心にあるものであり、したがって自分たちの内部にもひそんでいるものではないか。もし自分たちが権力や健康を持っている者の立場に立っていたとしたら、自分たちもまたそのような破壊や偏見にくみしはしなかったろうか。
 このようなところにまで、もし思い至るならば、戦うべき相手は必ずしも外にあるばかりでなく、内にも厳然と存在することがわかる。

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