三島由紀夫『盗賊』

たとい自殺の決心がどのような鞏固(きょうこ)なものであろうと、人は生前に、一刹那でも死者の眼でこの地上を見ることはできぬ筈だった。どんなに厳密に死のためにのみ計画された行為であっても、それは生の範疇をのがれることができぬ筈だった。してみれば、自殺とは鍊金術のように、生という鉛から死という黄金を作り出そうとねがう徒(あだ)なのぞみであろうか。かつて世界に、本当の意味での自殺に成功した人間があるだろうか。われわれの科学はまだ生命をつくりだすことができない。従ってまた死をつくりだすこともできないわけだ。