ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(澁澤龍彦 訳)

どうやら不安が人間というものの本質を形づくっているようである。単なる不安ではなく、乗り越えられた不安、不安の乗り越えである。生はその本質において一つの過剰であり、生とは生の浪費なのである。生は限りなく、その力と資源とを汲みつくし、限りなく、みずから創り出したものを破壊する。生きている存在の多くは、この運動のなかに受身の状態でいる。しかし極限においては、私たちは私たちの生を危険にさらすものを断乎として欲しているのである。