「細雪」谷崎潤一郎

 あの、神門(しんもん)をはいって大極殿を正面に見、西の回廊から神苑(しんえん)に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅(べに)しだれ、――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気をもみながら、毎年回廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅(くれない)の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、
「あー」
と、感嘆の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年にわたって待ちつづけていたものなのである。