「愚妻」高田保

 私の愚妻は謙虚である。この謙虚をいとしく思うがゆえに私は、「いとしの」という意味で「愚」という形容をつけているのである。こういうニュアンスに富んだ表現はまことに詩的なものだ。封建的とかファッショ的とかいうものでは決してない。これをかりに私が彼女を「賢妻」と呼んだとしたらと考えてみればわかるだろう。彼女はこれこそ不快を感じるに違いない。