野口米次郎「綱渡り」

彼は他人を考へる時間が無い、
自分自身であることが、エゴイストの芸術だ……
何といふ熱中を彼は仕事にもつであらう、
熱心が極まる時、彼は沈黙に入り、
言葉を失ふ時、彼は自分自身の人格を作る。
踏外さない彼に、何といふ行為の節約があるであらう。
彼は秘密と法則の所有者だ。
彼は人生の遊戯者ではない……現実その者だ、
彼を眺めて私共は空想と夢を見捨てる、
さうして近代の苦痛を感ずる。
彼と等しく私共も、生か死かの舞台に立つ芸術家だ。