夏目漱石「英文学形式論」

 吾々の日常使用する言語の中には、其の内容の曖昧朦朧(ヴェーグ、アンド、オブスキューア)なものが多い。吾々は此を使用するに当り、その内包、外延(インテンスィーヴ、アンド、ヱキステンスィーヴ)の意味(ミーニング)を知らずに唯曖昧の意味を朧げに伝へる。此を伝へられた人も、亦曖昧に聴いて曖昧に解するのみである。更に或場合には符号(シンボル)の表はす内容に付き、何等の概念(コンセプション)なくして用ゐることさへある。それで、必要があつて或言葉の意義を確めようとする時、若(もし)くはその意義を他人に問はれた場合に当つては、遂に要領を得ないことが多い。これ吾々が内容其者を思考の材料としないで、記号(シンボル)その者を以て考へるからである。文学(リテラチューア)と云ふ言語も此種の言葉の一である。