森鷗外「生田川」

處女(をとめ)。いゝえ。それが悪くはございませんの。唯わたくしには久しい間、極(き)まらないでゐた事が、そんなに急に極まるのが、恐ろしいやうでございますの。それにあの大きな鵠(くぐひ)を、今朝ふいと見た時から、なんだか氣に掛かつてゐたのに、あれが射られて極まるといふのも、恐ろしいやうでございますの。
母。なんの詰まらない。さういふ内(うち)に、その鳥はもう射られたかも知れないのだよ。
處女。(獨語のやうに。)ほんに鵠はどうしたかしら。