西脇順三郎「近代の寓話」(全)

四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない
ただ罌粟の家の人々と
形而上学的神話をやっている人々と
ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ
アンドロメダのことを私はひそかに思う
向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうっている
ふところから手を出して考えている
われわれ哲学者はこわれた水車の前で
ツツジとアヤメをもって記念の
写真をうつして又お湯にはいり
それから河骨のような酒をついで
夜中幾何的な思考にひたったのだ
ベドウズの自殺論の話をしながら
道玄坂をのぼった頃の彼のことを考え
たり白髪のアインシュタインアメリカの村
 を
歩いていることなど思ってねむれない
ひとりでネッコ川のほとりを走る
白い道を朝早くセコの宿へ歩くのだ
一本のスモヽの木が白い花をつけて
道ばたに曲っている、ウグイスの鳴く方を
みれば深山の桜はもう散っていた
岩にしがみつく青ざめた菫、シャガの花
はむらがって霞の中にたれていた
私の頭髪はムジナの灰色になった
忽然としてオフィーリア的思考
野イチゴ、レンゲ草キンポウゲ野バラ
スミレを摘んだ鉛筆と一緒に手に一杯
にぎるこの花束
あのたおやめのためにあの果てしない恋心(れんしん)
のためにパスカルリルケの女とともに
この水精の呪いのために