河井酔茗「春の詩集」(全)

あなたの懐中にある小さな詩集を見せてくだ
 さい
かくさないで――。


それ一冊きりしかない若い時の詩集。
隠してゐるのは、あなたばかりではないが
をりをりは出して見せた方がよい。


さういふ詩集は
誰しも持つてゐます。


をさないでせう、まづいでせう、感傷的でせ
 う
無分別で、あさはかで、つきつめてゐるでせ
 う。


けれども歌はないでゐられない
淋しい自分が、なつかしく、かなしく、
人恋しく、うたも、涙も、一しよに湧き出た
 頃の詩集。


さういふ詩集は
誰しも持つてゐます。


たとへ人に見せないまでも
大切にしまつておいて
春が来る毎に
春の心になるやうに
自分の苦しさを思ひ出してみることです。


詩集には
過ぎて行く春の悩みが書いてあるでせう。
ふところ深く秘めて置いて
そつと見る詩集でせう。


併し
季節はまた春になりました。
あなたの古い詩集を見せて下さい。