嵯峨信之「ヒロシマ神話」(全)

失われた時の頂きにかけのぼつて
何を見ようというのか
一瞬に透明な気体になつて消えた数百人の人
 間が空中を歩いている


  (死はぼくたちに来なかつた)
  (一気に死を飛び越えて魂になつた)
  (われわれにもういちど人間のほんとう
   の死を与えよ)


そのなかのひとりの影が石段に焼きつけられ
 ている


  (わたしは何のために石に縛られている
   のか)
  (影をひき放されたわたしの肉体はどこ
   へ消えたのか)
  (わたしは何を待たねばならぬのか)


それは火で刻印された二十世紀の神話だ
いつになつたら誰が来てその影を石から解き
 放つのだ