夏目漱石「倫敦消息〔『ホトトギス』所収〕」

 先(まず)散歩でもして帰ると一寸気分が変つて来て晴々する。何こんな生活も只二三年の間だ。国へ帰れば普通の人間の着る物を着て普通の人間の食ふ物を食つて普通の人の寝る処へ寝られる、少しの我慢だ我慢しろ/\と独り言をいつて寝て仕舞ふ、寝てしまふ時は善いが寝られないで又考へ出す事がある元来我慢しろと云ふのは現在に安んぜざる訳だ――段々事件が六づかしくなつて来る――時々やけの気味になるのは貧苦がつらいのだ。年来自分が考へた又自分が多少実行し来りたる処世の方針は何処へ行つた。前後を切断せよ妄りに過去に執着する勿れ徒らに将来に望を属(しょく)する勿れ満身の力をこめて現在に働けといふのが乃公(だいこう)の主義なのである。然るに国へ帰れば楽が出来るから夫を楽しみに辛防し様と云ふのは果敢ない考だ。国へ帰れば楽をさせると受合つたものは誰もいない。自分がきめて居る許りだ。自分がきめてもいゝから楽が出来なかつた時にすぐ機鋒を転じて過去の妄想を忘却し得ればいゝが今の様に未来に御願ひ申して居る様では到底其未来が満足せられずに過去と変じた時に此過去をさらりと忘れる事は出来まい、のみならず報酬を目的に働らくのは野暮の至りだ。死ねば天堂へ行かれる未来は雨蛙と一所に蓮の葉に往生が出来るから此世で善行を仕様といふ下卑た考と一般の論法で夫よりも猶(なお)一層陋劣な考だ。国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さなかつた。只現在に活動し只現在に義務をつくし現在に悲喜憂苦を感ずるのみで取越苦労や世迷言(よまいごと)や愚痴は口の先許りでない腹の中にも沢山なかつた。夫で少々得意に成つたので外国へ行つても金が少なくつても一簟の食一瓢の飲然(ぜん)と呑気に洒落に又沈着に暮されると自負しつゝあつたのだ。自惚(うぬぼれ)々々! こんな事では道を去る事三千里。先明日からは心を入れ換えて勉強専門の事、こう決心して寝て仕舞ふ。