ハイエク『ルールと秩序――法と律法と自由I』(矢島鈞次、水吉俊彦 訳)

「資本主義」も「自由放任主義」もそれを正確には叙述していない。そしてこれらの用語は、どちらも、自由な体系の擁護者よりもその敵対者の間で明らかに多用されている。「資本主義」は、ある歴史的局面におけるそのような体系のせいぜい部分的実現を指すのに適切な名称にすぎないが、実際には、経営者を苦しめ各経営者が逃れようとする規律を企業に押しつける体系であるのに、もっぱら資本家の益をはかる体系を示唆するから、常に誤解を招く。自由放任主義は経験則以外のなにものでもない。それは、政府権力の濫用への抗議を表わしていたのは確かであるが、それによって政府に固有の機能が何であるかを決定しうる規準を提供することはなかった。「自由主義」や「市場経済」についてもほぼ同じことがいえる。これらは個人の自由な領域を定義していないから内容空疎なのである。他の何にもまして一時期は本質をよく伝えたと思われる「法の下の自由」という表現は「自由」、「法」の意味がともに不明確化したのでほとんど無意味になってしまった。

   ※太字は出典では黒丸点