藤原定「背中の湖」(全)

私は気が弱くて人の顔を正視できないので
その人のうしろへ回って背中をみつめる
背中は正直でかくし立てせず
顔のように見てくれや強がりを言わない


背中には人間の悲しい運命が鋳込まれている
人はみな背中でじっと孤独に耐えている
その人のために祈ろうとするなら
気づかれぬようにうしろに跪き
背中にむかって祈らねばならぬ
するとやがて背中は広がってゆき
私のための 嘆きの壁になるだろう
受けとめ吸いとってくれるであろう
と祈る思いでみつめていると
日が昏れるにつれて
背中は限りなく広がってゆき


山の奥深い湖になっていた
背中のものいわぬ湖の傍らに
私はいつまでもじっと佇んでいた
そしていつかたぶんは月が澄んで明るい夜
その中に飛び込みすばしこい魚になり
あちらこちら泳ぎまわりたいと願うのだった