ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話 トラウマを超えて』(丘沢静也 訳)

 だがたとえ、子どもの頃のトラウマの経験が鮮明で、ほかの人の証言があったとしても、現在かかえている困難や心理的問題が、子どもの頃の出来事と直接関係するとはかぎらない。この章でしめしたように、生物学的な素質、周囲の支え、プラスの経験などの働きによって、幼児期の恐怖は、影響力を弱められることがあるからだ。「だって、ちゃんと覚えてるんだから」という論拠だけでは、新しい〈子ども時代〉像を論破することはできない。
 それだけではない。われわれの記憶は全面的には信頼できないものなのだ。目撃者によって証言された記憶ですら、われわれの空想や時間の経過によって変形し、かならずしも「当時」の現実を反映しているとはかぎらない。注目すべき記憶研究によると、われわれの記憶の確かさそのものが大いに疑わしいのだ。生涯つきまとっている記憶にせよ、セラピーによってはじめて思い出した幼児期の記憶にせよ、記憶が本当に「真実」なのかどうか、疑ってみるべきなのである。
 そのほかに、記憶力についての新しい認識や、記憶がその後の人生にはたす意義が、モザイクのように寄り集まって、新しい〈子ども時代〉像がつくりあげられる。それに照らしてみると明らかになる。「幼児期の経験には人生を決める影響力がある」という見方だけでなく、「われわれの記憶は、ありのままの過去の現実だ」という考え方もまた、神話なのだ。