「小弁(せうはん)」(「『詩經』 小雅 莭南山之什(せつなんざんのじふ)」より )(抄) (高田眞治)

維れ桑と梓と 必ず恭敬す
瞻るとして父に匪ざる靡く 依るとして母に匪ざる靡し
毛に屬せざらんや 裏に離かざらんや
天の我を生める 我が辰何にか在る


これくはとあづさと かならずきょうけいす
みるとしてちちにあらざるなく よるとしてははにあらざるなし
けにぞくせざらんや うちにつかざらんや
てんのわれをうめる わがときいづくにかある


維桑與梓 必恭敬止
靡瞻匪父 靡依匪母
不屬于毛 不離于裏
天之生我 我辰安在


桑(くわ)と梓(あずさ)とを見るにつけても、これは父母の植えたものであると思って、必ず恭敬して大切にする。桑や梓を視、桑や梓に依って、父母の恩徳を念わぬことはない。仰ぎ尊び視るところの者として、父のすべてであり、外には無い。親しみ依るところの者として、母のすべてであり、外には無い。人の子として仰ぎ尊び親しみ依る者は、父母のみである。我が身体は、皆父母の遺体であって、毛髪皮膚も父母につながり、父母の血肉に附(つ)くものである。然るに今や父母から遠ざけられて、離れて居ることになったのは、何という悪い時に生まれたのであろう。我が星まわりは、何処に在るのであろうか。