魚玄機「鄰の女に贈る(となりのおんなにおくる;贈鄰女)」(全) (辛島驍)

日を羞ぢて 羅袖を遮り、
春を愁ひて 起妝に懶し。
無價の寶を 求むることは易きも、
有心の郎を 得ることは難し。
枕上 潛に 涙を垂れ、
花間 暗に 腸を斷つ。
みづから能く 宋玉を窺ふ、
何ぞ必ずしも 王昌を恨まん。


ひをはぢて らしうをさへぎり、
はるをうれひて きしゃうにものうし。
むかのたからを もとむることはやすきも、
いうしんのらうを うることはかたし。
ちんじゃう ひそかに なみだをたれ、
くゎかん あんに はらわたをたつ。
みづからよく そうぎょくをうかがふ、
なんぞかならずしも わうしゃうをうらまん。


羞日遮羅袖
愁春懶起妝
易求無價寶
難得有心郎
枕上潛垂涙
花間暗斷腸
自能窺宋玉
何必恨王昌


 昨夜は遅くまで、あなたのことを思いつづけて、やっとうとうとしましたのは、もう曉(あ)けがた近くでしたから、今、目がさめますと、もう朝日が高くのぼってしまってします。そのあかるい日ざしの下に出ることは、なんだかお日さまにはずかしいように思われて、思わずうすものの袖で、胸もとをおおってしまいました。すると窓の外で、小鳥のさえずっているのが聞こえてきました。この春も、一日ごとに過ぎてゆきます。それは、とりもなおさず、自分の青春が過ぎ去ってゆくわけで、とてもさびしくなって、ベッドからぬけ出して朝のお化粧をするのも、ものういような気持ちになってしまいました。あなたのお側にいて、かわいがっていただいていたころには、朝のお化粧にも張りあいがあり、また楽しい一日が始まると思うと、心もはずんだものでしたが、今はそうではありません。ほんとに、どんな高價な寶だって、人間の力では求められないことはないと思いますが、さて、眞心(まごころ)でもって愛してくださるよい殿御(とのご)というものは、なかなか見出せないものでございます。そうお思いになりませんか。わたくしは、あなたこそ、ほんとうに眞心から、わたくしを愛してくださるお方だと思っていたのですが、げんに捨てられてしまいました。今日このごろでは、夜ともなれば、わたくしはベッドのなかで、ただひとり、ひとしれず涙にむせんで、自分のふしあわせをかこっております。また、昼間は昼間で、ふつうは楽しいはずの春ですのに、花の下にただひとり立って、はらわたもちぎれるような、さびしさに泣き悲しんでいます。捨てられたと、わたくしは申しましたが、實をいえば、あなたのところへまいったのは、わたくしがみずからすすんでしたことで、あなたこそ、昔なら宋玉(そうぎょく)のような、美しいお方でりっぱな詩人でいらっしゃると思い、すきになってこの身をささげたようなわけでございます。ですから、今のような悲しい身のうえになっても、あなたのお側へまいったことを、しまったなどとは、決して思ってはおりません。ほかのお方のところへ、とついでいればよかった、などとは思ってはおりませんのよ。ただせめて、あなたが最後まで、愛情をつらぬき通してくださるようなお方であったら、このわたくし、どんなに幸せであったろうと、それのみ口惜しく思っているだけでございます。