市村弘正『「名づけ」の精神史』

名前が内蔵するこのような固有性を、もっとも顕らかに示すのが神話的世界である。そこでは固有名詞が最大限の威力を発揮している。神話的思考は世界を、固有名詞を貼りつけた事物の総和として捉えるのであって、したがって、名前を付けられた物と物との間はいわば切れていると考えられる。つまり、それぞれが固有性に深々と貫かれることによって、神話的空間は「つぎはぎの空間」(ウスペンスキー)とならざるをえないのである。そこでたとえば、都とすべき地を求める王の遍歴が試煉の空間を通過しなければならないとすれば、その場所は隈(クマ)(奥地)、つまり熊が出て来ても不思議ではないような不毛の地でなければならない。すなわち「熊野」という名をもつ地でなければならない。そうして、そのクマクマシき土地での受難と復活をへて到り着くべき場所は、当然めでたき地であり、すなわち「よき人の よしとよく見て よしと言ひし」と謳歌される「吉野」でなければならないのである。したがって「熊野」と「吉野」との「つぎはぎ」の関係は、もっぱら名前が担う意味連関において支えられている。現実の地理的関係ではなく、願望の地政学とでもいうべきものが、それを統合しているのである。ある空間や場がもつ意味や性格と、そこに込められた人々の願望とは、名前のうちにすべてが要約されていた。