ニコス・ガッツォス「アモルゴス」(抄)(池澤夏樹 訳)

・笑うな泣くな喜ぶな
 鈴懸を植える時のように意味もなく靴紐を締めるな
 なによりも「運命」となるな


・しかしこのぬかった岸辺に道はただ一すじしかない
 人を欺く一すじの道 そこをおまえは行かねばならない
 時が追いつく前に血の中に身を浸さなくてはならない
 仲間たちに再会するために対岸へ渡れ
 花と鳥と鹿
 もう一つの海もう一つのやさしさを見つけるために
 アキレスの馬を手綱で捕えるために
 黙って坐りこんで河を叱ってもなにもならないのだ
 キッツォスの母のように河に石を投げてはいけないのだ
 なぜといっておまえもいずれは死に 美しい恋人もいずれ
  は老いるのだから


・不満は何の役にもたたぬ
 どこであれ生は同じ 妖怪の地では蛇の牧畜で生きてゆけ
 香木の松明には盗賊の歌を
 希望の頬には悲嘆の刀を
 ふくろうの真情には春の憔悴を
 鋤さえみつかれば 陽気な手に鋭い鎌さえあれば
 祭礼のためのわずかな小麦 記憶のためのわずかな酒 埃
  のためのわずかな水
 さえ花ひらけば……