安岡章太郎「軍歌」

しかしじつは、そのころから私は何とかして母の支配から脱け出したいと思いはじめていた。友人の下宿やアパートを泊り歩いて何日間も家へかえらなかったり、おしまいには口実をもうけて下町の魚屋の二階に一人で部屋を借りて住んだりした。けれども私はいつも最後のところでは母親の言うことをきかずにはいられない息子であった。あえて反抗すれば、母は死ぬかもしれない、――長年、父が外地にあって母と子の二人だけのくらしでは、そういう懼(おそ)れが実際にあった――。そのたびに私は自分の弱さを恥じたり、嫌悪したりしながら、結局は母親に甘えていた。