『とまり木をください』(松谷みよ子/絵・司修)

   「とまり木をください」(全)


とんで
とんで
とびつづけて
止まろうとすると
その木は燃え出すんです


とべ
とべ
とべ


とんで
とんで
考えろ


お前がどんなに馬鹿か
思いあがっているか
いやらしい
きたないブタか


とべ
とべ
とべ


ああ
とまり木をください


ほんのちょっと
休ませて ください
止まり木に 火をつけないでください

    「地獄」


地獄って
とおいところにあるとおもってたけど
ここが そうなんですねえ

    「墓」(全)


わたしが死んでも
あなたたちは
そばへよらないでください
一本の花も
そなえないでください


わたしの墓には
雨が降りそそぐこともないでしょう
雪が降りつむこともないでしょう
草が生(お)いしげることもないでしょう


花もいりません
日の光もいりません
月の光も


まして
あなたたちの手など
さしのべないでください

    「カエル」(全)


幼い日の記憶
あれはイソップだったか
池のカエルが
子どもたちに たのむのです


どうか石を投げるのはやめてくれ
君たちには遊びでも
わたしたちには
いのちの問題なのだから


わたしはいつも
心のなかでさけぶのです


どうか やめて おねがいだから
わたしには いのちの問題なのだから

    「おねがい」(全)


いやなんです
あなたのいっていることが
わかるけれど
いってることと
してることが
ちがうのが いやなんです


あなたと おんなじ じゃなくちゃ
いけないんですか
人間なんて
ちょっとずつ ちがって
それが ほんとでしょ


ちがっては いけないんですか


あなたのいうことは
わかるけれど
すこし ちがう道を
あるくことが
そんなにいけないことですか


わたしの道を
わたしに歩かせてください


自分で自分を
魂の教師だといっている
えらい人への
おねがいです

    「生きる」


もう悲しみも
にくしみもなくて
無心になるまで踏みにじられたとき
絶望は足がかりになるのですよ

「『とまり木をください』 あとがき」


 もう一つ、人間の悲しさは、だれでもが加害者になり得るということ。
 自分の心の、やむにやまれぬなにかで、加害者になることもあります。教育の名のもとに、人間が人間の息の根をとめることもあります。存在そのものが、すでに加害者であることもあります。そそのかされて、あるいは、見て見ぬふりをすること。――。それも加害者でありましょう。
 はっきりしているのは、加害者は、決してそのあたりに気がつかないこと。いや、気がつこうとしないこと。ついたとしても、痛みの深さがまったくちがうこと。