2011-07-29から1日間の記事一覧

山本七平『「空気」の研究』あとがき

現代でも抵抗がないわけではない。だが「水を差す」という通常性的空気排除の原則は結局、同根の別作用による空気の転位であっても抵抗ではない。従って別「空気」への転位への抵抗が、現「空気」の維持・持続の強要という形で表われ、それが逆に空気支配の…

山本七平『「水=通常性」の研究』

一瞬でその場の「空気」は崩壊する。これが一種の「水」であり、そして「水」は、原則的にいえば、すべてこれなのである。そしてこの言葉の内容は、いまおかれている自己の「情況」を語ったのにすぎないわけである。そしてその一言で、人は再び、各人の日々…

山本七平『「空気」の研究』

こうなる「空気」とは、一つの宗教的絶対性をもち、われわれがそれに抵抗できない〝何か〟だということになる。

山本七平『「空気」の研究』

むしろ日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。

山本七平『「空気」の研究』

「せざるを得なかった」とは、「強制された」であって自らの意志ではない。そして彼を強制したものが真実に「空気」であるなら、空気の責任はだれも追及できないし、空気がどのような論理的過程をへてその結論に達したかは、探究の方法がない。だから「空気…

山本七平『「空気」の研究』

採否は「空気」がきめる。従って「空気だ」と言われて拒否された場合、こちらにはもう反論の方法はない。人は、空気を相手に議論するわけにいかないからである。「空気」これは確かに、ある状態を示すまことに的確な表現である。人は確かに、無色透明でその…

山本七平『「空気」の研究』

日本の道徳は、現に自分が行なっていることの規範を言葉にすることを禁じており、それを口にすれば、たとえそれが事実でも、〝口にしたということが不道徳行為〟と見なされる。従ってそれを絶対に口にしてはいけない。これが日本の道徳である。