山本七平『「水=通常性」の研究』

一瞬でその場の「空気」は崩壊する。これが一種の「水」であり、そして「水」は、原則的にいえば、すべてこれなのである。そしてこの言葉の内容は、いまおかれている自己の「情況」を語ったのにすぎないわけである。そしてその一言で、人は再び、各人の日々、すなわち自己の「通常性」に帰っていく。われわれの通常性とは、一言でいえばこの「水」の連続、すなわち一種の「雨」なのであり、この「雨」がいわば〝現実〟であって、しとしとと降りつづく〝現実雨〟に、「水を差し」つづけられることによって、現実を保持しているわけである。従ってこれが口にできないと〝空気〟決定だけになる。(中略)従って「全体空気拘束主義者」は「水を差す者」を罵言で沈黙させるのが普通である。