2015-05-23から1日間の記事一覧

中上健次「千年の愉楽」

明け方になって急に家の裏口から夏芙蓉の甘いにおいが入り込んで来たので息苦しく、まるで花のにおいに息をとめられるように思ってオリュウノオバは眼をさまし、仏壇の横にしつらえた台に乗せた夫の礼如さんの額に入った写真が微かに白く闇の中に浮きあがっ…

向田邦子「かわうそ」

指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった。 宅次は縁側に腰かけて庭を眺めながら煙草を喫(す)い、妻の厚子は座敷で洗濯物をたたみながら、いつものはなしを蒸し返していたときである。 二百坪ばかりの庭にマンションを建てる建てないで、夫婦は意見がわ…

竹西寛子「管絃祭」

春の彼岸である。 東京は、まだ寒い。 町家に挟まれた浄念寺では、先刻から通夜の読経が続いている。古い造りの、町なかにしては大きな本堂だが、入口の階段下には男の靴も女の靴も数えるほどしかなくて、女物の草履が一足、少し離れた場所に脱がれている。 …