向田邦子「かわうそ」

 指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった。
 宅次は縁側に腰かけて庭を眺めながら煙草を喫(す)い、妻の厚子は座敷で洗濯物をたたみながら、いつものはなしを蒸し返していたときである。
 二百坪ばかりの庭にマンションを建てる建てないで、夫婦は意見がわかれていた。厚子は不動産屋のすすめに乗って建てるほうにまわり、宅次は停年になってからでいいじゃないかと言っていた。停年にはまだ三年あった。
 植木道楽だった父親の遺したものだけに、うちは大したことないが、庭だけはちょっとしたものである。宅次は勤めが終ると真直ぐうちへ帰り、縁側に坐って一服やりながら庭を眺めるのが毎日のきまりになっていた。