クロード・シモン『アカシア』(平岡篤頼 訳)

箱のなかみたいに鉄道列車の車室の内部の冷えた石炭の臭いのするシートに横たわって、今ではなにか強烈な化学反応、対立矛盾する物質のなにか硫黄臭い沸騰の名残りとさえ言えない、怠惰と呑気な無気力の――せいぜい言って優柔不断な期待の、二十六年という歳月の取るに足らない名残りしか存続しておらず、むなしく期待していたなにかは決して起こらなかったし(というかもしかしたら、と彼はさらに考えたが、それが実はいま現に起こりつつあることかもしれなかったのだが)つぎつぎに押しつけられたり、試みたりした変装のどれひとつ、カシワの箱が消えうせたときに、十一歳の少年に着せられた軍服仕立てで、首枷(くびかせ)にも似た襟と金ボタン、それにエナメル革の鍔がついた帽子と揃いの窮屈な制服からはじまって、いちばん年代的に最近の、これはいわばアクセサリーとして立体派画家の絵筆や絵具箱とセットになった服装にいたるまで、どれひとつそれを誘発できなかったのであって、その合い間にアナーキストのジャンパーを試着したこともあり、ついで依然としておなじ疑いぶかい懶惰、おなじ疑いぶかい驚きをもって、ツィードやフランネルを着て、あまりにも老化し、病んで、長靴と一斉射撃の音が響きわたる大陸の周辺一帯を、それぞれのホテルのポーターがつぎつぎと色とりどりのラベルを貼ってゆくトランクについて回ったこともあって、そのあいだ彼がしなければならなかったことといえば、せいぜい、日付と支払うべき金額を書いたちいさな長方形の紙にサインしたり、彼のために何ヘクタールもの葡萄畑を歩きまわる人間や馬の汗の紙幣のかたちをとった結晶をポケットに、銀行や旅行社かどこかから出てくることだけで、彼はその葡萄畑の正確な場所すら知らず、およその見当がつくだけで(奴隷商人みたいな顔の老差配は死に、もっと若い別の男に代わっていたが、その男も帽子をぬぐと、やはり日焼けした顔と好対照をなす、おなじ禿げて白い、というか鉛色の頭蓋を見せたもので)、変わることのない父祖伝来の習慣にしたがって、年に五回遠くから、言うなれば上の空で、というかむしろうんざりした面もちで視察しただけで