クロード・シモン『アカシア』(平岡篤頼 訳)

 地区の土地台帳のかなり大きな部分が、フランス大革命やナポレオン帝政の軍隊の陣頭に立って、家長の祖父が轟かせた家名をになっていたが、それは一種の大男で、たんに巨人みたいに背が高かっただけでなく、怪物じみた体重の持ち主で、いまでもそれが当時の文書に記録されて残っており、彼の孫、鼻が嘴みたいな形をし、手が骨ばってごつごつしている、ひからびて痩せた老人とは反対に、暴力と勇気と果敢さのなかで、それらを発揮することによってしか生きなかった男だったが、いまは食器とか、引き出しや納戸にしまわれたナプキン、シーツのたぐいに彫られたり刺繍されたりした組み合わせ頭文字にしか、その名残りは見られず、まるで帝政時代以来無尽蔵の戦利品、無尽蔵の銀食器、食卓用ないし家事用クロス類の貯蔵品が、忍耐づよく形成されてきた(というか寄せあつめられ、蓄積されてきた)とはいうものの、いまではその唯一の存在理由が蓄積そのもの、戸棚や押入れや金庫の占拠そのものとなっているかのようなのだった。
 三十代に近づいてそれとなくぽっちゃりしてきたつぶらな瞳の娘(氷河やブルターニュの漁港の裏に走りがきした四行詩の作者たちが、時たま大胆にもそう呼んだ呼称をかりれば、若きサルタンの妃)はいまだかつて(彼女の祖父同様、また従兄弟たち、そのうちの一人は相続権で選ばれた代議士で、暇な時に詩をつくり、もう一人は騎兵将校だったが、彼ら同様)生涯を通じて、スペイン語と同時に、ギターの棹でいくつかの和音をかき鳴らすことを習う以外、自分の家族や闘牛の試合の写真、真夜中になったら囲っている愛人とか、町の高級売春宿に住みこむ女たちのところへしけこむくせに、彼女をとりまく愛想のいい青年たちの一団が、娘たちを楽しませるために参加してくれる、他愛のないジェスチャー・ゲームなどの写真を飽くことなく撮りつづけ、現像し、焼きつける以外、なにもしたことがなかった。