クロード・シモン『フランドルへの道』(平岡篤頼 訳)

というようなわけで彼の馬に依然として並み足をとらせていたのだがそれは父祖の昔から彼がはげしい無理を要求した後では馬に息をつかせてやらねばならないということを習っていたからでだからこそおれたちは亀みたいにおごそかな歩みでいかにも貴族らしく悠揚としてすすんでゆき彼はまるでなにごともなかったかのようにあの少尉の若造としゃべりつづけきっと自分の馬術上の腕前とか競馬馬に乗るときのゴムの手綱の便利さとかの話をしていたのにちがいなくあの腹の底のしれないまったく始末に負えないスペイン兵たちあきらかに全人類間の友愛《理性》という女神《美徳》などについてのお涙ちょうだいのお説教にアレルギー反応を示しいましもコルク樫(がし)かオリーブの木立ちのかげにかくれて彼を待ち伏せしていたスペイン兵たちにとっては願ってもない標的だったのでおれは思うのだがあの時代には死はどんな匂いどんな口臭をはなっていたのだろうか今日と同様詩のなかでのような火薬と栄光の匂いではなくてあの胸のわるくなるようなむかむかするような硫黄とこげた油との匂い黒くて油でぬるぬるする兵器が火にかけたまま忘れられたフライパンみたいにじゅうじゅういって煙を出すときのあのむっとする匂いこげた脂肉(あぶらにく)漆喰塵埃のいやな匂いだったろうか
 きっと彼はなるべくなら自分自身で手をくださずにすませられたらと願いやつらのうちのだれかが彼にかわってそれを引き受け、あの過ごしにくいいやな一瞬を免除してくれるものと期待していたにちがいないのだったがそれでも彼はあるいはまだ彼女が(つまり《理性》がつまり《美徳》がつまり彼のかわいい雌鳩が)彼に不貞をはたらいたということを疑っていたかもしれずあるいは到着したときになってはじめてなにか証拠みたいなものたとえば押し入れにかくれているあの馬丁みたいなものを発見したのかもしれず、そのなにかが彼が信じることをこばんできたものというかたぶん彼の体面が見ることを彼に禁じてきたものを否認不可能なやり方で彼に立証してみせ、彼の覚悟をきめたというわけだが、もともとそれも彼の目の前に堂々とひけらかされていたものにほかならず、事実イグレジア自身も彼はいつもわざとなにも気がつかないふりをしていたといって彼があやうくふたりの現場を押えそうになったときの話をしたがそのとき彼女は恐怖とみたされぬ欲望とでおののいて馬小屋のなかで身づくろいをなおす暇があるかなしかだったが彼のほうは彼女に一瞥さえ投げずにまっすぐにあの若い雌馬のところへ行きしゃがみこんでひかがみをさわってみてきみはこの誘導剤だけで大丈夫だと思うかねどうもこの腱がまだずいぶんはれているように思えるがねやっぱりすこし皮膚焼灼(しょうしゃく)してやらねばならんと思ってるんだがね、とだけいって相変わらずなにも見なかったふりをしその馬にまたがったままうつけたようにもの思いに沈みそのまま自分の死にむかってこちらからすすんで行ったのでその死の指がすでに彼の上におかれ彼を指さしていたのにちがいなくおれはそんな彼の骨ばった硬直して鞍の上にそりかえった上半身を目で追っていたが待ち伏せしていた狙撃者にとってはそれは最初はせいぜいはえぐらいの大きさの斑点でねらいを定めた銃の照星の上のその垂直のほそながいシルエットが彼が近づいてくるにつれてだんだん大きくなり人さし指を引き金にかけた辛抱づよい彼の暗殺者のじっと動かぬ注意ぶかい目がいわばおれの目に見えていたものの裏側を見ていたのでというかおれが裏側そいつが表側を見ていたのでつまりおれたちふたりでおれが彼の後ろ姿を目で追いそいつが彼のすすんでくるのを眺めていてふたりあわせてなぞの総体を所有していたので(暗殺者がこれから彼の身の上に起こることおれが彼の身の上にこれまで起こったことを、つまりふたりで以後と以前とを、つまりふたつに割ったオレンジの完全にぴったりつきあわせることのできる片方ずつを知っていたので)その総体の中心で彼はそれまでにどんなことが起こったのかこれからどんなことが起こるのかも知らずにあの認識の虚無とでもいうべき(ちょうど台風の中心部にはまったく無風の個所があるということだがそれとおなじで)、ゼロ地点とでもいうべきもののなかにいた、きっと彼にはいくつもの面をもった姿見をつきつける必要があっただろう、そうすれば彼も自分自身の姿を見ることができたにちがいなく、彼のシルエットがだんだん大きくなっていってやがて狙撃者にもすこしずつ彼の上着の袖章、ボタン、彼の顔の目鼻立ちさえ判別できるようになり、照星がいまは彼の胸のいちばん効果的な個所をえらび、銃身がそれとはなしに移動し、彼の動きを追い、かぐわしい匂いのする春めいたさんざしの生垣ごしに黒いはがねの上に日光のきらめき。しかしおれはほんとにそんなものを見たのだろうかそれとも見たと思っただけなのかそれともただあとになってから想像しただけなのかそれともあるいは夢に見たのか、もしかしたらおれは真昼間目を大きく見ひらいたまま眠ってしまっていたずっと目をさまさずに眠りつづけていたのかもしれないので自分の影をふみながらすすんでゆく五頭の馬の単調な蹄鉄のひびきにゆられていたのだが馬たちはかならずしもまったくおなじ歩調で歩いていたわけでなくだからそれはまるで交錯するぱちぱちという音みたいで時に追いつき重なりまるでただ一頭の馬しかいないみたいにひとつになるかと思うと、それからふたたびばらばらに散らばりまるでまた追いかけごっこをはじめるみたいでいつまでもそんなことがくりかえされ、戦争がわれわれのまわりでいわば静止しいわばのんびりと停滞し、大砲が間歇的に人けのない果樹園に打ちこまれてまるでからっぽの家のなかで風にあおられてばたんばたんと鳴るドアみたいなにぶい壮大なうつろな音をたて、景色全体が動かぬ空のもとでがらんとして人っ子ひとり見かけられず、世界が停止し凝結しぼろぼろとこぼれ落ちはがれまるで使用不可能となった大きな空家(あきや)、支離滅裂で、無頓着で、非情で、破壊的な時間というものに意のままにあらされた空家みたいにだんだんと端から崩壊してゆくのだった。

   ※太字は出典では傍点